脱・完璧主義でラクになろう:出来ない自分を見せても他人は傷つかないのです

文章だけの記事は疲れるから随所に写真を挿入するといいと聞いて試しに挿入してみた、うつリンク管理人のトキワです。・・・どっすか?フリーの写真素材とか探してくるの面倒なの。うつ病だから(言い訳です。)。慣れれば面倒じゃなくなるのかな?

さて、本題です。アダルトチャイルドや完璧主義な人は、「出来ない自分」をさらすのが苦手です。

自分は本当はダメダメだと思っていて、それがバレた瞬間に、皆が呆れ、自分を見下して去っていくに違いないと信じているからです。

たとえば、カラオケが苦手だと思えばカラオケから逃げ回ります。会社の付き合いなどで逃げられないと分かれば、歌が好きでもないのに一人カラオケボックスにこもって練習したりします。「ヒトカラを楽しむ」のとは次元が違う。苦行そのものです。
さらに当日は「カラオケ苦手だから、練習してきたんです~」なんて可愛い事は決して言いません。
練習した水準の自分の歌が、素のレベルですというように振る舞い、ミスった日には「久しぶりに歌ったから、音程ハズしちゃったなあ」といった寒々しい嘘すらついてしまったり、からかわれるスキを与えたくなくてムスっとしてみせてしまったりします。

でも、本当にそれ、正しい方向の努力なんでしょうか?

チームプレーが必要な仕事やスポーツなどでは、確かに一人が足を引っ張ると周りを苛立たせることがあります。特に仕事の場合は、足を引っ張らない努力というのも必要でしょう。でも、そうでない多くの場面では、他人はあなたが「出来ない」ことに、そうそう苛立ったりはしません。

現に、これを読んでいるあなた。特訓に特訓を重ねていざカラオケに行ってみたら、自分以外のメンバーは全員、バンドマン級の歌自慢ばかりだったらどう思いますか?物凄く恐縮して居心地悪く感じませんか?

逆に、自分より音痴な人がたくさんいたらどうでしょう。「騒音の連続で耳が曲がりそう。こんな下手な歌を聴くのは時間の無駄」と苛立ちますか?
むしろ、「これなら自分も歌いやすい」とか「自分も下手だと思っていたけど、あの人よりはマシだわ」とか、内心ほっとしませんか?
普段仕事はバリバリ出来る人が音痴だったりしたら、むしろその人の苦手な部分も知ったことで親しみを覚えたりしませんか?

そういうことです。

あなたの親は、あなたが常に常に「優れた子」であることを望み、あなたが残念な結果しか出せなければあなた以上に落ち込み、嘆き。あなたはそんな親を見ていたたまれない気持ちになったかもしれません。
・・・あなたの親は、子供であったあなたに自分を投影し、同一視し、あなたを通じて親自身の劣等感を埋めようとしていたのです。

でも、殆どの他人は「自分が」その場でほどほどの立ち位置でいられることが重要で、あなたに「優れた人でいてほしい」とは望んでいないのです。

 

だからあなたがカラオケ(「カラオケ」を身近な色々な物事に置き換えて読んでくださいね。)が苦手で、でも付き合いでカラオケに参加しなければならなくなった時は、心でこうつぶやいてみましょう。
「私の下手な歌があるから、歌自慢な人達の歌が引き立つし、同じ場にいるカラオケが苦手な誰かは心を和ませることが出来るんだよ。」

それはあながち外れていません。

あなたが「超」が付くほど歌が上手かった場合、「自分が一番うまいだろう」と思って参加した同席者が内心ガッカリする可能性はありますが、あなたが音痴であることで傷つく人は、あなた以外にはいません。

中にはあなたの歌いぶりをからかう人はいるかもしれませんが、その場のノリで翌日には覚えちゃいませんし、からかうのはからかう側の資質の問題で、あなたの問題ではありません。

そもそも・・・周りは「次、何歌おう」って自分の事に夢中で、あなたを含め、他の人が何を歌ったかなんて、ろくに覚えていなかったりするんですよね・・・。

本当は、それだけのことなんです。

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