虐待を打ち明けるかと迷っているあなたへ

この記事は、あくまで「過去の」虐待体験を打ち明けるかという話で、虐待を告白された人に、お願い。と対になる記事です。
今、まさしく虐待をしている・されている人、そして虐待の存在に気付いた人は速やかにこれを終了するための手段を取ってください。

「聞いて聞いて!私虐待されてきたの」
と被害者であることをアピールして同情を買いたい・・・人でなくても
虐待被害者はその体験を、語るか迷うことがあると思います。

体験の整理のために語り、聞いてほしい

精神的虐待のように明確に見えにくいために気づけないこともあるでしょうが、「他人にふるえば警察沙汰」というほどのひどい暴力を受けていてもなお、虐待被害者であるという認識を持てない人もいます。

子供にとっては自分の家庭が世界のすべてで、比較対象がありません。
虐待が起こるような家庭では、親類や友人家族と家に招きあうような親しい交流を持っていなかったり、親類との交流はあっても一族郎党すべてが虐待体質であったりします。

大抵「お前が悪い子だから」とか「これはしつけだ」といった加害者側の理屈を幼少時から叩き込まれています。ある程度成長してからそんな理不尽を突き付けられれば反発も出来ますが、幼少時から押さえつけられて育つと、そもそも理不尽と常識の区別もつかなくなります。

また被害者も「虐待を受けても当然な程ダメな子」「惨めな子」といったレッテルを自らに貼ることは屈辱的で認めたくない事実です。

それが、成長するにつれ、または成人後に視野が広がるにつれて「我が家に起こっていたことは虐待ではなかったか」と考える時、それを確かめ、体験を整理するために「だれかに語る」ことを欲する場合があります。
自分ひとりで考えようとしてもグルグル同じところを回って結論が出ないからです。

嘘をつき続けるのが辛い

世間一般では、親子はお互い愛情で結び付けられ、それなりの交流を持っているのが「普通」とされています。

未成年の間は親に養われなければ生きていけないし、バイトで稼いだとしても親に許可してもらえなければ携帯の契約ひとつ結べません。
「なぜ携帯を持たないの?」
と聞かれた時に、虐待の事実を伏せようとすれば「要らないから」などと嘘の回答をするしかありません。

成人してしまえばそこまで親に振り回されることはなくなりますが、それでも年末年始に親元に帰省したか~等聞かれることがあります。
結婚を意識した交際をしている相手がいれば、親に会わせられない理由をこじつけるか、ニコニコ笑って「幸せ家庭」を演じるか・・・といった択一を迫られることもあるでしょう。

大きく小さく嘘をつき続けることが辛くなる場合もあります。

傷つかない自信が出来てからが無難、中年以降になってからが無難。

私自身は、今は虐待されていたことを打ち明けることがあります。
でも、他人に安易には勧められません。

いつまでも親離れしていないのは恥ずかしい。
自分の人生を親のせいにしているなんてみっともない。
虐待されるほどの、どんな悪い事をしたの?そんな育てにくい子供だったの?

まあ、7割方はこんな反応だからです。

日本人は大抵、学校でも家でも親には感謝しましょうと刷り込まれて育ってきています。
また、被虐者が20代~30代位迄は、健全に育った周りの友達も「親離れ」を模索中。
同年代の友達は、聞かされる本人が親離れのために不安や経済的な困難と闘っている最中だったりするので「親に殴られて、今生きにくくて」という話を聞くゆとりがないことも多い。
年配者に相談しても、「未熟」と決めつけられて要らぬ説教を受けることもあります。

さらに言うと、虐待の認識はないものの「虐待被害・加害の当事者かもしれない」と内心恐れている人は、こういう話題を出す人に過剰反応し、自分の家庭を正当化して虐待の告白をしてきた人を激しく責める傾向があります。
探られたくないハラを探られる気分になるのでしょうか。

そのような反応をされたら心の奥底から傷ついてしまいかねない状況の人は、話すことに慎重になるべきかもしれません。
じゃあどうしたらいいのか。

家庭問題を専門に扱うカウンセラーはいるようです。そのような人を探すのも手でしょう。
ただ、カウンセラーでも知識やスキルが低い人もたくさんいます。びっくりするような暴言を吐く人もいます。
相手は一応聞くことのプロですが、当たりもいれば外れもいます。友人を作る時同様、カウンセラーも、何度も会ううちに信頼できるかどうかを見定めていくしかないのが現状です。

私自身は、残念ながらいいカウンセラーには巡り合えませんでした。
本を何冊も買い込み、ひとつひとつ「自分で」解きほぐして整理するというプロセスを取りました。

今、虐待の体験を打ち明けることはありますが、それは「溺れる者が藁をつかむ」思いで打ち明けるのではなく、昔語りのひとつとして語ったり、あるいはこのサイトで虐待の経験を綴っているのと同様の意図、つまりこの経験を役立ててもらいたいと思って解説したりすることが、あったりなかったりするだけです。
反応は肯定的であったり否定的であったりまちまちですが、否定されても「この人とは、この部分では分かり合えない」と感じるだけで、私の人生そのものを否定されたような気分にはならないところまで「整理」がついたので、語れるようになりました。

もっと「話の分かる」社会であってくれればなあ、とは思いますが、今虐待の体験を他人に話すべきか迷っている方は、こんな現実をも踏まえて、話すかどうかを決められたらいいかと思います。

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