[AC]虐待の連鎖は「やられて嫌だったことはしなければいい」という単純な話ではない

基準自体が狂っている

「虐待を受けて育ったので自分は子供を産みたくない」
という女性の話を聞かされて、虐待を知らない人は
「やられて嫌だったことをやらなければいいだけ」
と簡単に考えることが多い。

育った家庭に、なにか一つ二つの「嫌な行動や習慣」があっただけならそれも可能なのだが、虐待のある家庭が深刻なのは、幼いころから「これが常識」と教えられた、その基準自体が・・・何もかもが、狂っているということだ。

スポーツに例えるなら。
虐待未経験者が虐待と聞いてイメージするのは「家庭内でレッドカードを食らうような違反がいくつかあった」状況。
これに対して実際の虐待家庭は「審判自体が間違っている」「審判自体がその時々の気分でルールを変える」状況。
両者は全く違う。
大人になってから「どうやら自分の家庭はおかしかった」とは分かっていても「何がどうおかしかったか」「どうあるべきだったのか」が分からない。
「このルール(愛情とか良心とか常識とか呼ばれているもの)に照らして判断すればいい」という、そのルールそのものを知らないからだ。

そもそも叩いて服従させられてきた人は、どうやったら叩かずに子供を躾けられるのかは全く思いつかないわけだが、それだけではなく、痛いことを痛いと言ってはダメ、不安なことを不安だと言ってもダメ。
ほかにも数えきれないほどの変なルールを幼い頭に・・・本能に近いところにスリこまれてしまっているので、何が本当か分からない。嫌だったこと全部を「やらない」ことにしたら

何も残らない。

子供をネグレクト級に無視するか。
必要な躾もできず腫物に触るようにふるまうか。
育児書を妄信的に信じてそれを馬鹿正直に実行しようとするか。

結果、「殴らないで育てたい」と思って、実際に殴るという行為は封印できたとしても

虐待は連鎖されてしまう。

子供を産みたくないとは言えない社会だけど

日本は、これだけ少子化が進み、子を持たぬ人のマイノリティ度が下がった現代でもなお「子供を産みたくない」とは言えない社会と感じる。
私自身、日本の「子供を産みたくない」という意見は「ワガママ」「結婚出来ない・産めない人の負け惜しみ」と決めつけ、「あなたのために言うのよ」という建前のもと批判しても構わないという考えの人達に数多く接し、「子供を欲しくないと思う私はおかしいのか」とずっとモヤモヤしてきた。

ある日、脳と心理と行動の間の関連を研究している専門家に
「虐待を受けた人を調査すると、虐待を連鎖させる人と、必要な躾も出来なくなる人。合わせると半数以上が育児に困難を抱えている」
という客観的な意見を聞いて、その絶望的な数字を聞いて、やっと自分の考えは間違っていない、私自身はこの意思を貫いていこうとハラが定まった気がした。

勿論、「虐待を受けたけれど・虐待を受けたからこそ家庭を持ちたい、子供を持ちたい」という考えの人もいること、虐待を受けたけれど子供は愛情深く育てられる人もいるは承知していて、その人の考えは否定しない。
あなたはあなた。私は私。
「どちらが正解か」という話ではなくて「どうしても欲しくない」自分の思いも大事にしていこうと、自分の「子供を否定してしまう部分」を許してやろうと思えた、ということだ。

子供子供と勧めてくるのは自己承認欲求

子育て経験者で、独身者や子どものいない人をやたらと「説得」「批判」してくる人がいる。
「子供は産みなさい」「子育ては素晴らしい」「自分は子供を産んで成長できた」

なんだろうな、不愉快だなとは感じていたが、私が今更子供を望んでも手遅れという40代に入っても言ってくる人が多いことから、確信した。

子育て経験者の押し付け説教は、その人の自己承認欲求に過ぎない。
こちらを思ってのことではなく、自分の自己承認欲求を満たしたいがゆえの行為だから、こちらの事情には聞く耳を持たないし、聞く側の人間を不愉快にさせる。

こういうことだと思う。
子育てに莫大な時間と体力精神力、お金がかかるのは事実だし、一度生み落したら20年は育てないとならない。「やっぱりやめた」とは言えない。なかったことにも出来ない。
人は苦労すれば報われたいと思う生き物だ。自分が莫大な時間と体力精神力、お金をつぎ込んできた「大事業」が価値のないものとは思いたくない。

ここで、自分の人生を自分で肯定できる人は、こちらから聞けば子供にまつわる色々なエピソードを話してくれるが、相手がウンザリしているのを無視して延々と話し続けることはないし、価値観を押し付けることはない。
「子育ては絶対」と押し付けてくる人は、子育てそのものか子育てのために失ったものに不安や不満がある人。自分では自分を認められないので他人に認めてもらいたい。褒めてもらいたい。羨ましがられたい。

だから「その話はやめてほしい」とハッキリ言っても「大事なことなのよ」「あなたのためなのよ」「言われる間が花なのよ」とか食い下がったり、一旦はやめてもまた別の機会に繰り返し繰り返し「説得」しにくる。
大抵の良識ある女性なら20代も中盤にもなれば、世の中には、育児より大事なものがある人、子どもが好きではない人、子を授かりたくても授かれない人、或いは授かったけれど失って苦しんでいる人などの存在に気付く。出産・育児というのはデリケートな話題なのだと気付く。そしてこのような話は、相手を選ぶようになる。

自己承認欲求を満たしたい人は、最初から最後まで自分しか見えていない。

よく観察していると、自己承認欲求の人達は、若い女の子に「いいなあ。私も早くお母さんになりたい」と憧れの眼差しを向けられても喜ぶのだが、子供が望めない年齢や事情を持つ人が「私も子供欲しかったなあ。あなたは子供いていいなあ」と辛い気持ちを表現した時にも・・・

口先では「あら、悪いこと言っちゃった。ごめんなさいね」とか言いながら、顔が、優越感で輝く。

処世術としては、こういう輩と正面衝突したところで不毛な争いやけなし合いに巻き込まれるだけなので、のらりくらり路線に徹するか、褒め殺すか、「子供を産めない可哀想な私」を演じるか無視するかでやり過ごすのも賢い方法だと思うが、少なくとも。

他人の自己承認欲求を満たすために、あなたが不愉快になったり、ましてや悩んだり苦しんだりする必要は、どこにもない。

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[AC]虐待の連鎖は「やられて嫌だったことはしなければいい」という単純な話ではない」への2件のフィードバック

  1. ほよ

    はじめまして。わたしは親から精神的なストレスを受けて育ってた20代前半女です。そのためか、子供を産みたくないという気持ちがあり、まわりの常識や認知とのギャップでもやもやとしながら過ごしていました。しかし、今日この記事を読んで 「それでもいいんだな」と自分の気持ちを少し受け入れることができた気がします。楽になりました。いま交際している彼にも 子供に関して思っていることを打ち明けてみようと思います。ありがとうございます。

    1. うつリンク管理人 投稿作成者

      子供時代に過酷な経験をなさったことは不幸なことだったでしょうが、ご自分の気持ちに20代前半で気付けたことは、幸運なことです。
      子供を産むかどうかは、人生を大きく左右します。そして、20代前半で子を産むことへの抵抗感に気付けたほよさんは、「自分はどうしたいか」を考える時間が、まだたくさんある。

      まずは、世間の正論や多数派がどうであれ、ほよさんご自身が「子供を産むことに抵抗を感じている」という感覚を、ご自分の中では肯定してあげてください。
      どうか、彼氏を含め、色々な人達に、ほよさんの抱いているモヤモヤを問いかけてみてください。子育てをしつつ幸せそうな家庭があったら、逆に辛そうな家庭があったら、可能な限り訪ねてみてください。本も、ありったけ、読んでみてください。勿論、私に問いかけてくださっても構いません。
      よほさんが望むような回答ばかりが得られるとは限らないし、理解を得られず辛い思いをすることもあると思います。
      でも、あなたの人生です。全員から賛同を得られなくても、ご自分で納得できる人生を歩めれば、いいと、思いませんか?

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