感情の抑圧:全く悲しくない卒業式

機能不全家庭で育ち、これに反発した兄弟がグレ、さらには父がよせばいいのに投資で莫大な借金を作り・・・高校生になる頃には私の家は目も当てられぬさまになっていました。
これもまた機能不全家庭の特徴なのですが、不都合な事は一切家庭外には話すなときつく口止めをされています。
口止めされていなくても子供にもプライドや学校での立場というものがありますので、自分が
「親兄弟に好き放題に蹴られ殴られ、学校の出来事など一切聞いてもらえず、学校で必要なものがあっても気軽には買ってと言い出せないし、怪我や病気でも頼み込まなければ病院に行かせてもらえない」
惨めな子だということなど、とても話せません。友達にも、教師にも、この辛い状況は話せませんでした。

それどころか殴られた時のあざが制服や体操服から見えるところに出来ていないかをチェックするのが日課でした。
ただ、親もズル賢いので、そこは決して殴らないんですよね・・・。
「躾のためにしている、お前のためだ」
というのが本心からの言葉なら、堂々と見える所を殴ったはずです。

制服には、美術の授業でついてしまった誰が見てもわかる大きなシミがついていたのですが、親には買い直して欲しいとは言えないし、友達や教師には買ってもらえないとは言えない。
思春期まっただ中の女の子が恥ずかしくないわけはないけれど「シミにも気付かないガサツな子」を演じていました。

そんな状況が延々続いて・・・
気が付いたら私は「感情を抑圧した」状態になっていました。
ああ、抑圧がかかっていたのだなと気付いたのは成人後、感情が戻った後なわけですが。

人は、耐え難く逃れられない辛い・苦しい状況が続くと感情を抑圧する生き物なのだそうです。
耐えられず逃れられないなら死ぬしかないので、生き延びるためにそういう本能が働くのでしょう。
負の感情だけを抑圧できればいいのでしょうが、そこまで器用に感情を制御できないので、すべての感情に抑圧をかけるのだそうです。

今思えば不思議な状態でした。
全ての感情が、うすい。何をやっていても、心の一部が冷えている。
いつも私本人のナナメ後ろ、憑依霊がいそうな場所に、霊ではなくいつも冷静でいつもさめている「もう一人の自分」がおり、自分を見下ろしている感じ。

少しずつそういう状態になっていくので普段はあまり感じることはないのですが

たとえば文化祭や体育祭など、「皆が張り切って盛り上がる」ような時期になると、同じようには盛り上がれなくて逆に盛り下がってしまい、孤独感を感じるのです。

自分では特に自覚がないのですが、当時は、特に何も悪い事をしていないし成績も普通という無難な生徒だったにも関わらず大抵の教師に嫌れ煙たがられる子だったのですが
私をひどく嫌っていた教師の一人に「なんだ、笑えば可愛いんじゃない」と冷たく言い放たれたことがあるので
恐らく普段は全く笑わないし懐かない、卑屈な目で教師の顔色を伺う可愛げのない・イラっとさせる生徒だったのだと思います。

卒業式に、今日で友達とも学校ともお別れなのに、周りの子達が泣いたり友達とハグしたりしきりに写真を撮って別れを惜しみ合う中、全く何の感情も湧き上がってこない自分を「流石にこれはなんだか変なんじゃないかな」と、もう一人の自分が他人事のように「観察」していたのを覚えています。

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