[AC]痛いと言えない、嫌と言えない。

(2015/12/22更新)

足を踏まれていても、靴擦れが出来ても。

私は、たとえば誰かに足を踏まれたときに咄嗟に踏んでいる相手に「痛い」「踏んでいます」 などと告げることができません。
親に殴られる時、痛がると親の頭に血が上り、余計にひどい暴力を受けかねなかったからです。

一方で、踏まれていることを告げずにいて、相手が延々踏んでいた事に気付けばそれはそれで気まずいので
踏まれた足が痛いかなどは二の次で、ただひたすら相手が気付かぬままに足を離してくれることを祈る。

ひたすら、なかった事になってくれと祈るのです。

友達と歩いていて、靴擦れが出来た時も同様です。
絆創膏は持っていて、それを貼る間、足を止めてもらうだけのことを言い出せなかったりします。

「靴擦れが出来るほど歩かせてしまった」と気を悪くしないかが不安なのです。

アダルトチャイルドにとっては、こんな見えやすい・理解されやすい痛みすら、申告するのは一仕事なのです。

痛いとか、靴を汚されて悲しいとかいう感情は、「邪魔なもの」として無視してしまう。
「自分が我慢して丸く収まるなら、それがいい」
「寝た子は起こさない方がいい」
それが、処世術だったからです。

診察が怖かった

外反母趾を疑って、病院に行ったことがあります。
その時もすごく億劫で。行きたくなかった。
行きたくないのが「歯医者」なら分かりますよね。痛い治療をされるかも、という恐怖がありますから。
既に痛いのを緩和したいという相談なのに、億劫で仕方なかった。

「外反母趾ですね」と言われて心からほっとした自分に気付きました。
進行は遅く出来るが治ることはない、と言われたにも関わらず、です。
(外反母趾の方は早めに治療を受けましょうネ!)
普通は、「なんともないです」と言われる方がほっとするものでしょうけれど。

そしてその時ふと父の面影を思い出し、気付きました。

私は医者から、父のように「これくらいの事で痛いと言うな」「これくらいの事で苦しいと言うな」と罵られるのが怖かったのだと。

分かりやすくない痛みなら尚更

街中で、病院で。
足が痛いと言って、それを疑う人、非難する人はいません。
山歩きにヒールつきのサンダルでやってきて「痛い」と言い出したら「当たり前よ」と怒られることはあるでしょうけれど。

こんな分かりやすい痛みや不都合すらサッと言えないのですから・・・
もっと分かりにくい痛みならなおさらです。

・・・キツい言い方をされて傷ついた、といった、目に見えない心の痛みを表現するのは、アダルトチャイルドにとってとてつもなく難しいことです。

或いは、意に沿わぬ異性から不快なほどに接近されても、「離れてください」と言うのは、アダルトチャイルドにとってとてつもなく難しいことです。

あっけらかんと「ちょっと!そんな言い方ないでしょう」「近い。近すぎるから!」
と言えれば済む話ですが、それが難しく・・・

自分の「不快」を無視し続け、なかったことにして振る舞ったり。
あっけらかんと言えればいいのですが、勇気を出して「やめて」言うことで妙に重たい雰囲気になったり。
或いは、我慢して我慢して、ある日、本人から見れば「堪忍袋の緒が切れて」・・・相手から見れば「いきなりキレて」関係が壊れるほどのやり方で猛抗議してしまったりします。

人間関係に要らぬストレスを抱え込んだり、人間関係を壊したり。
我が事ながらため息が出ます・・・。

それでも少しずつ学ぶことは出来る

ある日、酔った勢いでやたらとプライベートを根掘り葉掘り聞いてくる人がいました。

やんわり言っても、相手は全然気づかない。
また聞いてくるので答えるのをやんわり拒否するけれど、全然気づかない。

つい、「いい加減にしてくださいね」と語気強く抗議して・・・私自身は普段の行動にない事なので内心物凄くうろたえたのですが・・・
そこで根掘り葉掘りはピタッと止まり、その場では多少気まずくなったものの、「それが正解の対応」と分かりました。

私は話したくないプライベートを話さずに済み
相手は私の意向に気付けて、「意図せぬストーカー状態」にならずに済んだ。

「ごめん」と言われて、その時にネチネチと攻撃を続けずに「いいえ」と笑えば、それで完結です。引きずらない。

最良のやり方ではなかったですね。
相手がしつこくしつこく聞きはじめる、そのもっと前の段階で「話す気ありませんから」とピシッと言えれば、もっと気まずさが少なくて済んだはずです。

・・・怖かったです。そんな言い方をするのは、とても怖かった。
やったことが無いから怖かっただけです。
親に語調を強めた言い方などしたら暴力が始まりかねなかったけれど、世間一般の良識ある人は、相手の意向が分かれば意図的に嫌がることはしないし、意図的に嫌がることをする人と分かればその段階で斥ければいいわけです。

アダルトチャイルドはいろんな「親元では生き抜くために必須だったが世間一般的には好ましくない」行動パターンをスリ込まれた状態で社会に出ます。
しんどい思いも多い。

けれど成人し、親と決別した後は自分を振り返り、自分を育てることで、いくつになっても成長もしていけるのだと思います。
私はそう信じています。

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