お前のために買ってやったのだから喜べと「自分のお古」を渡す親

これだけだったら虐待とは言えないのでしょうけれど。

父は、誕生日などでプレゼントを買う時。大抵私の希望は聞かなかった。
自分が思う「娘が喜ぶはずのプレゼント」を買ってきて・・・自分で開け、自分の気が済むまで自分がいじって、子供には渡さなかった。

「ほら、お前へのプレゼントだよ」と私が触るのを許される頃には、包み紙はビリビリ。あちこちいじられたあとの、「お古」。

私は開ける喜びを許されず、新しいものを試してみる喜びも許されず、そもそも欲しい物を買ってもらうことも許されず、もはや嬉しいどころか惨めで悲しくて泣きたい気持ちなのに

「お前のためのプレゼントなのだから喜びなさい」

という親の期待に沿って、喜ぶ演技までしなければならなかった。
「お父さんがこんなにいじった後のものなんて欲しくない」
と言えば、「お前のために買ってやったのに、感謝しない」と、私が「酷い子供」としてなじられた。

プレゼント。なんだったっけ。覚えてない。嬉しかったのはひとつもないから。
中学校以降位は、現金だったかもしれない。お金は、選ぶ面倒もないし、相手を知らなくても渡せるからね。

海外出張の多い父は、長期出張のたびに土産物は買ってきてくれたのだけれど
私の趣味とはかけ離れた、大振りのイヤリングが定番だった。
ショーウインドウで見栄えがよく、また小さいものより値が張る分店員も熱心に勧めたのだろう。
それなりのブランド名が刻まれたものもあったから、安物ではなかったと思う。

私の趣味とは全く違った。それ以前に、私は耳が小さい。耳たぶは、ことに小さい。

大きくて重いイヤリングは、そもそもつけられない。

「プレゼントを貰って喜ぶ演技」で本気では喜んでいなかったことも、一度も付けていなかったのにも全く気付かないようで、
出張のたびにせっせと、大振りのイヤリングを買ってきた。

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