[AC]駄々をこねる幼子を見て妬ましくなる心理

アダルトチャイルドからの回復の過程で、駄々をこねている幼子を見ると
「素直に感情を表現しても受け止めてもらえる」
その子がひどく羨ましく・・・羨ましさを通り越して、妬ましく感じていた時期があります。

私が幼子だった頃は、たとえば何か失敗をしてとても悲しい気持ちになっても、それを表現することは出来ませんでした。
幼い子供のすることには失敗がつきものです。
食事だっていきなりお箸を使いこなして綺麗に食べるなんて出来ません。着替えも、学校の支度も、お手伝いもお稽古も。失敗無しにいきなり出来るようにはなりません。
多分私も本当は、出来ないもどかしさを泣いてわめいて表現し、母に「最初はうまくいかないわよ」と抱きしめて欲しかったのだと思います。
でも、そういう場面では大抵、母が先にヒステリーを起こしてわめきたてるので、自分の気持ちはそっちのけで母の激情をなんとかおさめようと必死に母に謝ったり、自分で片づけようとして「いいわよ、もうあっちに行ってなさい」と怒鳴られたりしていました。

機能不全家庭では家事や家計の管理まで年端もいかぬ子がやりくりするケースもあるようで、私の家庭ではそこはなかったのですが(逆に、かなり大きくなってからも全く触れさせてもらえませんでした。強制的に指示通りの作業をさせられるだけで何一つ「任せて」はもらえませんでしたし、意見も言えませんでした。未だに親が幾らの家計をどのようにやりくりしていたのか知りません。家事も家計のやりくりも、一人暮らしを始めていきなりの実践の中自分で学びました。)
「感情面の処理」という面では親子の役割が逆転していました。

そういう家庭に育つとどうなるか。
幼子の頃から感情を抑え、捻じ曲げて生きるので感情そのものが分からなくなる。
自分は悲しいのか、楽しいのか、怒っているのか。
表現の仕方に至っては、尚更分かりません。

周りをうかがって「笑うべき」と思う時に周りと同じように笑い、怒るべき時に怒れず、周りの期待する言動を想像し、先回りして演じるようになる。

母もまたそうだったのかもしれません。
たとえば、ご馳走を切り分ける時、母は母自身には必ず一番小さい切れ端を取り分けていました。
「お母さんは小さいのでいいわ」と言ってそのように取り分け、笑ってみせていましたが、作り笑いだということは子供にだって分かります。

母は子供が喜ぶ顔を見ると幸せになれるからそうしているのではなく「母親というのはそうすべきもの」と思い、「いい母親」を演じていたのです。
自らに小さい切れ端を取り分ける行為が自然な感情から来ているものだったら「今日はもしお母さんいっぱい食べたい気分だから、たくさんもらっちゃうね!」「えー、ずるい!」みたいな人間的な交流もあったのじゃないかと思いますが、母は判で押したように同じ行動を繰り返し、その行為で子供が喜ぶことを「期待」しました。

なので子供は子供で、母を我慢させている事に罪悪感を抱きながら、母親の持つ「いい家庭像」に沿って「ご馳走をたくさん取り分けてもらって無邪気に喜んでいる子供」を演じる。
・・・邪気ありまくりです。
誰もがアンハッピーなのに、誰もその演技を止められずに「幸せな家庭」を演じ続けていたのです。

母もまたそのように育てられて、素直に感情を表現しようとする幼子を見ると妬ましくなって
「泣きたいのは、同じ事を何度も教えたり
 アンタ(子供)がひっくり返したものを片付けなきゃならない、アタシの方だよ!」
と感情を不適切に爆発させていたのかもしれなせん。

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