記事より:死早める「飲食拒否」の終末期患者、専門医の3割が診察

http://www.asahi.com/articles/ASKDJ5QBMKDJPLBJ001.html

(朝日新聞DIGITAL 2017年12月17日)

私も「終末期の患者」になったことはないので、この記事に書く内容は、推測なのですが。

>身の回りのことができなくなる恐れや、死を自分でコントロールしたいという強い希望を持つ患者だと、点滴や飲食を拒む場合がある。

この見解。ちゃんと、終末期の患者本人にゆっくりと話を聞いて出した結論なのでしょうか?

私には、このように「食事を拒むのは、積極的に、死を早めたいという意思があるから」というのは、健康な人目線の勝手な推測なんじゃないかと思えてならないのです。

健康であれば、毎日三度の食事時になればお腹が空いて、むしろ食事の時間が待ちきれない。オヤツをつまんでしまうほど、「食べる」ことは、美味しいし楽しい。一食抜くのだって辛くて耐え難い。

だから、「飲食拒否」と聞くと、「ダイエット」や「ハンスト」のように、何か強い意志を持って何等かの目標を達成しようとする行為だととらえてしまう。

 

けれど、私もうつ病になって初めて知ったのですが・・・健康でないと「食事が美味しくない」のは言うまでもなく、噛むことも、飲み込むことも、消化することも、物凄く疲れるのです。食べても味気ないし、食事の匂いを嗅いだだけで吐き気がすることもある。飲み込むには強い意志が必要。食べた後、消化が上手くいかずに気分が悪くなることもある。

知人の高齢女性も、訪ねていくと、いつも水と食べ物が傍に置いてあるのですが、「一度にはたくさん食べられないし、自然な食欲に任せているとどんどん痩せていってしまうので、食べられそうな時に一口でも食べようと」思って、飲食物を常備しているのだそうです。

終末期の患者も、食事を摂る体力などとっくに失われていて、むしろ出された食事をキチンキチンと食べきる人の方が、「死ぬ時期を遅らせたい」、あるいは「いい患者でいる」ために「食べる、という辛い作業を我慢している」だけ、「実際には食事は苦痛・億劫なものでしかない」という可能性はないのでしょうか。

>多くは適切な医療やケアで苦痛を緩和できる
緩和は出来ても、苦痛が消えるわけでもない。治るわけではない。ましてや、社会復帰できるわけでもない。
自分の入院費用が家族にのしかかる事を心配しながら・ただ苦しみながらベッドに横たわる日が、何日か長引くか長引かないか、の選択肢しか持たない患者が「必ず、一日も長く生きる方向で頑張るべき」というのは、そもそもの思想自体に無理があるのではないのでしょうか。

勿論、まだまだ食欲はあるけれど、将来を悲観して食事を拒否する人もいるのかもしれません。

それをきっかけに、そのまま亡くなってしまう人もいるかもしれませんし、一時的に飲食を拒否しても、生きたいという意欲や食欲の方が勝ってきて、或いは体調が少し改善して、しばらくしたらまた食べ始める人もいるでしょう。

それは、死を前にした人間の、とても自然な生命力のゆらぎ、心身のゆらぎではないのでしょうか。

それを「食べなきゃダメじゃない」と叱ったり、ましてや食べられないならと点滴や胃ろうで栄養を流し込んだりするのは、むしろゆっくりと閉じていく命をかき回す行為ではないのでしょうか。

 

・・・と、ここまで、想像だけで書いたわけですが、日本は「死」をタブー視し過ぎて、誰も議論したがらない。
法制度も社会認識も熟していないから、医師は、患者が苦しむだけと知っていても延命をやめられない。

終末期だろうがなんだろうが、生きたい人が生きるために頑張ることは否定しません。
でも、「最後の最後まで苦しみぬかなければ死なせてもらえない社会」「死に方を選べない・最期の意思を尊重してもらえない社会」

って、物凄く貧しい社会だと思うのですが・・・。

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