うつリンク的整理術:片付けられないのは、完璧主義のせいかもしれない。

私は片付けられない女でした。

男にも「片付けられない男」が多いのに、というか男の方がよほど多いにも関わらず、男はあまり責められないのは「片付けは女がするもの」という概念があるせいでしょうね。職場なんかでも、職務に含まれていなくても、オフィスを綺麗に保つ役割はさりげなく女性に期待されていますよね。机を散らかしていても男は「仕事熱心だから」と許さることが多いのに女には厳しい目が向けられますね。男女差別ですね。ひどいですよね。

・・・話がそれました。

私は片付けられない女でした。

子供の頃から、部屋がしまっていないもので溢れてきて、ドアから机やベッドに行く動線にだけケモノ道が出来て・・・。
あまり赤裸々に書くと恥ずかしいですね。
居室にキノコやカビが生えたことはありませんよ。当たり前か。

ともかく、子供の頃からしょっちゅう「だらしない」と怒られ、自分でもだらしないせいだと思っていました。

物凄く散らかる→一日かけて大掃除→翌日からまた散らかりはじめる
そんなループを繰り返し「ほどほどの部屋」である日はほとんどなかった。

すべてだらしないせいだと思って自分を責めていました。

「あとでちゃんと片付けよう」がいけない

ある日、心理カウンセラーのサイトを見ていて「片付けられないのは完璧主義のせいかも」という考え方を見つけた時には、それはそれはびっくりしました。

「だらしない」と「完璧」「潔癖」は対極にある状態だからです。

でも、片付けられない自分を責めるのをやめて、散らかす時の心の動きを丁寧に追いかけてみると、確かに「散らかってもいいや」ではなく「あとでちゃんと片付けよう」と思って「とりあえず」机の端なり、部屋の隅っこなりに物を置いている。
そしてそういうところへの「仮置き」によって、しまうべき引き出しなどの手前に物が置かれてしまうと、仮置きのものから片付けないとモノをしまえない状態になる。そこでも、仮置きのものをどかして引き出しを開けるのではなく「あとでちゃんと片付けよう」と思って、引き出しにしまう代わりに仮置きのものの上にさらに仮置きしてしまう。引き出しはもっと開け辛くなって・・・悪循環が始まり、あとは汚部屋一直線です。

「あとでちゃんと」
これが曲者だったと気付いたわけです。

もっと完璧主義でしかもバイタリティにあふれた人なら「今ちゃんと」になるのでしょうが、
「完璧に綺麗」を目指す心理と、完璧には出来ない行動力との狭間で「汚部屋」が出来上がっていたことに、気付いたわけです。

合言葉は「今、スコシ片付けよう」

ではどうすればいいか。

「あとでちゃんと片付けよう」を「今、スコシ片付けよう」に変えればいいと、気付いたわけです。

大掃除をするとき、人は物をしまうルールを決め、キチンと順番に並べて、キチンとたたみ、キチンとそろえてキチンと決めた場所にしまいます。
そのルールを日常的に守れる人は「完璧に綺麗な部屋」を維持できるわけですが、それが出来ないからこその汚部屋なのですから、出来ないことを責める代わりに、日々の片付けのルール自体をもっと簡単なものにしてやればよかったのです。

完璧でなくても人は暮らせるのですから。

色々な手抜きの仕方は別の記事に分けて追々書いていきたいと思いますが
たとえば食器。もの別に分類して毎回食器棚にしまえばいいのですが、普段使う食器は限られています。
普段使わないものだけキチンと棚にしまって、普段使う分は洗ったあとの水切りラックを定位置にしてもいいわけです。

ただし「出しっぱなしにするのは、水切りラックに入る分まで。今あるものをしまわない限り、別の食器は出さない」

そういうルールだけ決めておけば、「あとできちんと」しまおうと思っているうちに水切りラックがあふれてきて、そのうちラックの外にも「とりあえず」置いて、さらにそのうちキッチンに近付きたくなくなっていく・・・
という事態は避けられるわけです。

完璧でない状態を認める

完璧主義の裏返しで片付けられない人の中には、「ナントカ流の片付け指南書」の類を大量に買い込んで「片付け指南書で部屋が散らかる」という皮肉な事態に陥っている人もいるのではないでしょうか。

このタイプの人にとって、あれやこれやの片付け本を読むことにはあまり意味がありません。
一番大事なのは「完璧主義に気付いて、完璧でない状態を認める」ことだからです。

ではどうすればいいかというと。

自分を、褒めます。

一々褒めます。口に出して褒めます。口に出して自分をほめる。変な人です。いいから褒めましょう。

根っこのところでは、従来の完璧に美しい部屋を目指したい完璧主義の自分がいるわけで、完璧でない片付けには不満が残ります。
これを、口に出し言葉にして褒めることで「これでいいのだ」という意識に、少しずつ変えていくのです。

たとえばあなたは「食器を洗ったら、きちんと拭いて食器棚にしまうべきだ」という考えをお持ちだったとします。
そんな躾をされてきた人もいるでしょうし、そうした方が美しいのも確かです。

けれど洗った直後は食器もビショビショなので完璧に拭き取るのは大変。熱湯をかければ清潔になってかつ水切れもよくなるとはいえお湯を沸かすのも面倒だし、しばらく置いてから拭くだと二度キッチンに行かねばなりません。

億劫なので食器まで洗いたくなくなってしまいます。

そこで、食器だけ洗うのでヨシとしてみる。
気持ち悪いです。だって、従来のマイルールによると、途中までしか片付いていない状態で切り上げるのですから。
ここで敢えて「食器だけ洗った状態」を褒めます。加点法で、出来た部分を褒めます。
「ちゃんと洗えたね。スッキリしたよね」と。
実際、食器が綺麗に拭かれて食器棚にしまわれていなくても、食器が洗われて水切りラックに入っている状態は

「あとでちゃんと」やろうと思った食器が結局洗われずにシンクから溢れている状態よりは、ずっとずっといいのは分かりますよね?

目指すべきは「完璧には片付いてはいなけれど居心地のいい部屋」

そして、完璧にしまわれた状態より、ずっと使いやすい。普段使いの食器がスタンバイしているのですから。
さらには、そこまで出来ていれば必要な時に「食器棚にしまう」こともそう難しくありません。

こういうこの積み重ねが、「完璧には片付いてはいなけれど居心地のいい部屋」をキープするコツだったのです。

世の中には「散らかっていても汚くても気にならないから散らかす」人もいると思います。

でも、そういう人は片付けられない状態にイライラし、どうやったら片付くのだろうと悩んでこの記事を検索したりはしませんので、この記事をお読みになったあなたも是非、「だらしない」と自分を責めるのを一旦やめて「片付けられないのは完璧主義」のせいではないかと疑ってみてほしいのです。

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